人が多く集まる街であれば、およそどんな街にでも、「裏通り」と呼ばれる場所がある。
モラルと法律に守られ、スーツ姿の忙しげなビジネスマンやショッピングを楽しむ親子連れが行き交う繁華街の大通りから、ほんの一本だけ奥に迷いこんでしまうと。
――――そこはもう、噎せ返るような暴力とセックスに支配された、「裏通り」である。


投げ捨てられたペットボトルや煙草の吸殻で汚れた裏通りの入り口に、紙袋を抱えた一人の少女の姿があった。プラチナブロンドの髪をベールで包み、ブルーとオフホワイトの配色も鮮やかな修道服に身を包んだ彼女の名は、マリアージュ・バレンタイン。

「リア! どこ行くの?」
道端にしゃがみ込んで落書きをしていた子供たちの中の一人が、彼女の姿に気付いて声をかけた。
「ん、ちょっと神父さまに頼まれて、オレンジを届けにいくのよ」
「げっ。あのクソ神父のところかよ。リアが食われちまわないように、気をつけなよ?」
「こら。神父さまのことをそんな風に言わないの!」
厳しい声で悪口を言った子を叱ってみたものの、マリアージュのペールブルーに澄んだ瞳には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
彼女がこれから尋ねていく神父は、ダウンタウンの小さな教会を中心に、精力的に慈善活動を行っていることでよく知られている人物だった。暴力沙汰の絶えない地域に自らの身を置き、誰からも見捨てられた貧者に手を差し伸べる彼のことを、世間一般の人々は聖人君子と褒め讃えていた。だが、なぜか子供たちの間では非常に評判が悪く、神父の主催する日曜学校は、いつも空席ばかりが目立つような有様で。マリアージュ自身、神父の顔に常に浮かんでいる、張り付けたような笑みを見ていると、ぞっと肌が粟立つような恐ろしさを感じることがある。神父への不信感を隠そうともしない子供たちのことを強く叱れないのは、彼女自身が同じ気持ちを共有しているからに他ならなかった。


「ねえ、リア。ロザリオ見せてよ」
「なによ、こないだ見たばっかりでしょ?」
「うん。でも、また見たいんだ。だってすごくキレイなんだもん。ダメ?」
マリアージュは足を止め、ぼろきれのような服を着た子供たちの隣に座り込む。あっという間に、彼女を取り囲むように子供たちの輪が出来た。
「遅くなると神父さまに叱られちゃうから、ちょっとだけよ?」
そういいながら彼女が胸元から引き出したのは、珍しいデザインのロザリオだった。

鈍く銀色に光るクロスの中心に嵌め込まれているのは、小さな黒い輝石である。
精巧なカッティングの仕業か、あるいは元々持っている性質なのか、それは太陽の光を吸い込んで自らの中に封じ込めているような、不思議な深みをもった漆黒の石だった。
子供たちは顔を寄せ、じっとマリアージュの手の中のロザリオを見つめる。一人の子がため息をつきながら、まるで星が無くなってしまった夜空のようだ、と言った。また別の子は、動物園で見た大きな駝鳥の瞳がちょうどこんな感じだった、と、独り言のように呟いた。


「ねえ、これってさ。リアが捨てられたときに持ってたんだよね?」
ロザリオを見るとき、子供たちはいつもこの話を聞きたがった。もう何度も聞かせている話を、マリアージュはまた口にする。
「そうよ。私が小さな籠に入れられて、修道院の前に捨てられたのはね、まだ赤ちゃんのときだったの。シスターが見つけてくれたとき、私は籠の中で白いタオルに包まれて、すやすや眠っていたんだって」
子供たちは、大きな目を瞠ってマリアージュを見つめ、まるではじめて聞く話であるかのように、一生懸命に耳を傾ける。
「そのとき、赤ちゃんの私がしっかり握っていたのが、このロザリオなの。シスターが取り上げようとしたら、大声で泣いて嫌がったんだって」
「ねえねえ、リア。そのロザリオは、リアの本当のパパとママがくれたものなのかな?」
この質問も、お馴染みのもので。それでもマリアージュは、尋ねている子供たちと同じくらいに真剣な顔をして、いつもどおりの答えを言った。
「そうね。私はそうだと信じてるわ」
「不思議だねえ。リアは、本当はどこかの国のお姫さまなのかもしれないよ?」
「うん。きっといつか、すごい車に乗ったパパとママが、このロザリオを目印に、リアを探しにくるんだよ」
貧しい子供たちが熱心に語りあう声を聞きながら、マリアージュは誰にも聞かれないように、小さなため息をついた。

…私も、小さい頃はずっとそんなことを信じていた。いつかパパとママが私のことを迎えに来てくれるって、ずっと思っていた。
でも、きっとそんなことはなくて。私は、このまま大人になって、シスターとして修道院で暮らして。時折このロザリオを見てパパやママのことを思いながら、年を取っていくんだわ。

「…じゃあ、私、行くね」
ロザリオを元通り胸元にしまうと、マリアージュは立ち上がり、スカートの埃をはたいた。残念そうな顔をする子供たちに笑顔で手を振って、彼女は道を歩き出す。





同じ時刻。マリアージュが歩いている道の裏手にある警察署の取調べ室に、ちょうど同じ年頃の少年が座っていた。長いプラチナブロンドの髪を後ろで結わえ、ダークスーツをかっちりと着込んだ彼の名は、ロイ・ボカード。

「いい加減に吐きなよ!」
思いっきり机を叩きつけながら、目の前の警察官が怒鳴った。怒りで顔を真っ赤にしているものの、よく見れば美しく整った顔立ちをした、女性警官である。
身を乗り出した彼女に噛み付きそうな表情で迫られて、ロイは口元に薄い笑いを浮かべた。
「吐けって言われても。やってないことは言えないな」
「あのな。人が一人死んでるんだ。アンタらマフィアが裏で糸引いてることはわかってんだよ!」
「だからさ。わかってるんだったら俺に聞かなくてもいいだろ?」
冷めた声でそう言うと、ロイはスーツの内ポケットを探り、そこから煙草のケースを取り出した。最後に残っていた一本を口に咥え、火をつけようとしたところで、警官の手が伸びてきてさっと煙草をひったくる。
「何だよ、返せよ」
「…いい度胸だね、警察署で堂々と法律違反? ロイ、アンタまだ未成年だろ!」
「見逃してくれてもいいだろ、タバコの一本くらい。…大体、オバサンだって人のこと言えないんじゃない?」
「あたしはまだ二十四だ、オバサンじゃない!…で、アンタ、何が言いたいんだ?」
いかにもバカにしたような口ぶりでそう尋ねられ、ロイはアイスブルーの瞳をすっと細くする。その視線が女性警官の腰の辺りに向けられた。
「オバサンがそのポケットに突っ込んでるフラスクボトルさ。中味、酒だろ?」
「…!」
「勤務中に酒飲むのは、まずいんじゃないの?…こないだ、パトカー運転してるときにも、飲んでたよね」
机の上に置かれていた警官の両手が固く握り締められた。ロイを真正面から見据えた彼女の目に、殺意にも似た激しい怒りの色が走る。一発殴られることを覚悟して、それでもロイの口元の冷たい笑みは、変わることがなかった。


彼女の手が高く振り上げられ、ロイの頬めがけて平手打ちが飛んでこようとした、その瞬間。
取調べ室の扉が、激しく叩かれた。

はっとして振り向いた女性警官は、ち、と一つ舌打ちをして扉を開け、その向こうに消える。扉の向こうからは、暫く何事か激しく怒鳴りあう声が響いていたが、やがてぷつりとその声が途絶えて静かになり。
がちゃり、と扉を開けて入ってきたのは、先ほどまで取調べをしていた警官とは別の、年配の男性だった。彼はロイをちらりと見ると、わざとらしく咳払いをしながらドアを大きく開け放つ。
「…容疑は晴れた。釈放だ」


ロイが取調室を出ると、その場に居合わせた警官たちは、一様に白々しい表情をして視線を背けた。ぐるりと見回してみたが、ロイの取調べにあたっていた女性警官の姿はどこにも見えなかった。
妙に静まり返った警察署を後にしたロイは、何事もなかったかのように大通りを歩きはじめる。車の往来が激しい通りを少し歩き、薄汚れたわき道に入るとすぐに、数人の足音が響いてきた。背後からロイをガードするかのように取り巻いたのは、黒いサングラスで目元を隠した男たちだった。いずれもがっちりとした体躯にダークスーツを着込み、油断なく周囲に目を配っている。
ロイは、足を止めることもなく、真直ぐに前を向いたまま、面倒臭そうにぽつりと呟いた。
「タバコ」
一人の男がさっと煙草を手渡すと、ロイはそれを口に咥えた。即座に差し出されたライターに顔を近づけ、一息吸い込んでタバコに火を移すと、眉を顰めて深々と煙を吸い込む。
「…遅かったな」
「すいません。ちょっと別件で手間取りまして」
「別件? 何かあったのか」
「はい。…その件で、クイーンがお呼びです。車を手配しましたので、どうぞこちらに」

ふう、と白い煙を吐き出すと、ロイは吸殻を指先で弾き飛ばした。
クイーン・ローズライカ。孤児だった自分をストリートから拾い上げ、育ててくれた恩人ともいうべきその人は、この街一体を支配する、マフィアのボスだった。
硝煙の匂いの消えない男たちに先導され、道端に停められた車へと歩を進めながら、ロイは思う。

…ガキの頃は、いつか、この裏通りから抜け出してやると思っていた。
だが、そんなのは子供じみたただの夢物語で。結局俺はこのまま、このくそったれた街以外の世界なんて知ることもなく生きて、そのうちヘマをやらかして、どこかのゴミ捨て場で野垂れ死ぬんだろうな。つまらねえ人生だ。

ロイが黒塗りの車に乗り込むと、バタンと扉が閉められた。座席に深くもたれながら、彼は一つ息を吐き出し、アイスブルーの目を閉じた。



ロイの乗る車の横を、オレンジの袋を抱えたマリアージュが急ぎ足で通り過ぎていく。エンジンが掛けられ、すべるように走り出した車は、マリアージュが歩いていくのとは逆の方向へとロイを運び去っていく。



ロイ・ボカードとマリアージュ・バレンタイン。
まったく違う境遇に育ちながら、どこか似た雰囲気を持つこの二人は、今、それぞれの想いを抱えながらすれ違い、お互いの存在に気付くこともなく離れていく。

回り始めた運命の輪に導かれ、二人の進む道がもう一度交差するのは、ほんの少しだけ未来の話である。

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